―映画では本作が初主演ということで、オファーがあった際は、どう思いましたか?
誰しも俳優をしていますと「いつか主役を」と思っていることでしょうけれど、僕に関してはそう思ったことはなく、
これまでも主役にこだわったことは一度もなかったですね。そもそも、そういう想いが育つ土壌がなかった。
それくらい僕はあぜ道ばかり、外様ばかりを歩いていましたから。
ただ僕は、自分の身の丈にあった運を、みなさんにいただいてきただけのことでして、
主役への想いは正直、僕にはまったくなかったですね。
―実際、主演として『星めぐりの町』の撮影を終えたいま、何か思うことはありますか?
やはり映画で主役となると、特に僕みたいに晩年になってチャンスをいただくと、いろいろな様子がわかるものですね。
今の時代に映画を立ち上げること、商売としての映画、みなさんの協力を得て成り上がっていくものが映画ですので、
責任を感じましたね。俳優という職業は楽しいですけれど、ある意味ではなってはいけない職業でもあると思っています。
飯を食うことを考えると、狭き門です。なっちゃいけない職業だと思いますね(笑)。
―映画の世界ははなやかな印象を受けますが、とりわけ厳しい道でもありますよね。
若い頃はね、食えなくても楽しいですよ。でも30歳を境に女房子供ができて責任がかかってくると、
その時点でさよならをしていく人をたくさん見て来ました。僕も36歳まで、職業欄に俳優とは書けなかったですね。
それだけの自信がなかった。世間が認めてくれていない間、会社員などと書いていました。
やがて高倉健さん主演の『冬の華』で認められ、流れに流されていくなか竿を刺してようやく止まった、という感じがしましたね。
―愛知県の豊田市が物語の舞台ということで、イオンシネマ豊田KiTARAにも足を運ばれたそうで。普段シネコンなどで映画を観る機会はありますか?
ええ。よく行きますよ。居心地はいいですね。昔の劇場は大きかったので、そうすると、どう頑張っても客席が満員にはならなかったんです。
だから寂しいものでした。やがてミニシアターやシネコンなど数で勝負というか、いまの時代にあっている劇場が出てきて、
僕は落ち着いて楽しめます。昔ながらの大きな劇場は埋まりにくいのか、寂しかったです。
―確かに昔の映画館は、巨大な建物が多かったですね。それでも立ち見など全盛期には、どの映画館も満員みたいなイメージがありましたが。
大きな映画館は満員になりにくいというだけで、人は街に出ていました。高度成長期の頃は、夜通しやっていましたよ。
街中が起きているわけですから。地方からも人がわんさか出て来ていて、並みの映画館などは朝の4時頃まで確かに満員でした。
いま今の東京は都心でも21時30分にオーダーストップになるけれど、銀座でも新宿でも渋谷でも夜通し人があふれていて、
それくらい当時は馬力があった。僕たちも若い頃は寂しいから、夜中の街をうろうろして闇に紛れ、寂しさも紛らわせていたこともありますよ(笑)。
―映画の現場での様子も、当時と現代ではまるで違いそうですね。
当時は東映のやくざ映画が全盛で、僕たちも叩き込まれました。一度でOKをもらうもんじゃない、何度もNGを出してこそいい役者、だと。
僕は1回じゃOKをもらえなかったので、そういう意味ではよかった(笑)。たいしたことはやってないんです。ピストルの撃ち方がどうのとか、
そういうことでも何度も撮り直した時代ですね。いまでは考えられないですね。お金もかかるから1回でOKを出さないと。いま思うと、いい時代だったかもしれない。
―1960年代~現在まで、50年以上も第一線で活躍し続ける秘訣は何でしょうか?
僕たちの頃とは時代が違いますので、僕の持論がいまの時代にそのまま当てはまるとは思いませんが、
この映画のように人との出会い、めぐりあい、それが生きる力を与えてくれて、素晴らしい人生になるのだと思います。
うつむいてこつこつやっていれば、誰かが観ていてくれる。僕はそういうタイプです。まあ、そういう風にしか生きられなかったわけですが、
実に時間がかかるので、いまは流行らないやり方かもしれません。
こつこつという言葉も死語に近いかもしれません。こつこつしすぎて、少々疲れましたが(笑)。
―その『星めぐりの町』、確かにめぐりめぐる人との出会いについて描いていました。
人生においては出会い、めぐりあいが大切ですね。それが明日を生きる力を約束してくれて、人生を約束してくれる。
僕は、そういう映画だと思っています。この映画は希望に満ちていて、明るい映画でもあるとさえ僕は思います。そして撮影中は少年が僕で、
豆腐屋の親父が高倉健さんだと思っていました。高倉さんとの出会いは、僕には特別なことで、
僕は女房と子どもと飯食ったことがないんですよ。ほぼ50年、あの人と食べていましたから。
―監督も、そういう関係性を念頭に置いて、この映画を撮っていたかもしれませんね。
そうですね。そうだと思います。この少年、豆腐屋の関係と僕と高倉健さんとの関係がまったく同じなんです。出来の悪い弟子と師匠みたいなものですね。
監督も、そのことをわかった上で脚本を作られたんじゃないかと……。僕の場合は周りの人に助けられてきた、いわば、<寄りかかり人生>みたいなもの。
本作品は星めぐりと言いますが、僕はこの映画を出会いがテーマだと解釈していて、星ではなく人めぐりの映画ではないかと思っています。
いろいろな解釈ができますから、観た方が自分の感性で受け止めればいいと思います。