―ボブ・マーリーを演じることが決まった時、率直にいかがでしたか?
作業量がすごいことになると思いました。祝福するという感じはなく、頑張らなければいけないという気持ちでいっぱいになりました。学ばなければいけないことが多く、その場で出来るものなどなかったわけですから。ギターをはじめ、全部をやらなければいけなかったのです。
―監督によると、7か月以上準備されていたとのことですが、一番大変だった役作りは何でしたか?
言葉です。ボブ・マーリーはもろいところもあったので、それを表現する必要があったのですが、シンプルなものではなく、ちょっとしたニュアンスの表現が難しかったところです。これはアメリカ映画ですが、彼はアメリカ人ではないことと、内省的で静かな人物でもありました。
そのためインタビューなどで自分の気持ちをあまり話さない人だったので、彼の音楽を聴きながら彼の家族や友人からいろいろな逸話を聞いて準備をしました。アメリカ映画ならボブが涙して感動的に終わることもあり得るでしょうけれど、この映画はそうじゃないんです。真実に迫っているんです。本当のボブが、そういう人ではなかったから。
―奥様のリタ・マーリーとも強く惹かれ合っている描写もありましたね。
まさにそうですね。この映画は、見事にふたりの関係性を、あるいはボブの道のりに対してリタはどういう関わりを持ったのか、見事に表現していると思います。
ボブはどんなことがあっても前進する人で、音楽の感受性も豊かでした。人生においては仕事熱心なタイプで、突き動かされるように仕事をしていましたが、もちろんパーフェクトではないんですよね。非常に複雑な人物だったと思います。
―さまざまな場所でロケされたと思いますが、思い出の場所はどこでしょうか?
ジャマイカはとても暑かったですが、ライブのシーンを撮影出来たことはとても特別な経験でした。ボブが実際にコンサートを開いた近くでシーンを撮影して、観客は全員ジャマイカの人で、みんなが愛とサポートをくれました。
―イオンシネマは日本のシネコンなのですが、映画館で映画を観る醍醐味については、どのように考えていらっしゃいますか?
特に今映画のプロデューサーは、イベントになるような映画を企画しているように思うんです。それはなぜかと言うと、家から出て映画館に観客を座らせないといけないからですよね。そうじゃないと今はちょっと待てば家で新作映画が観られるので、特別な理由がないといけないんです。
先日ノートPCで映画を観ていた時、そこには残量表示があり、一時停止してトイレにも行けますし、お腹が減れば中断も出来るんですよね。それはよくないことなんです。映画には流れがあり、それを遮ってしまう。物理的に映画館まで行ってイスに座り、そこで観客はストーリーを観たい意思があるからこそ動くわけですよね。何かを経験するためにみな劇場に行くと思うので、大きなスクリーン、暗い室内が必要だと思うんです。
―『ボブ・マーリー:ONE LOVE』のボブ・マーリーは、彼の多面的なところがよく出ていましたね。
内なる葛藤ですよね。役者としてもそれを理解することが、自分の責任だと思いました。でなければ、興味深い映画には全然ならないですよね。英雄は葛藤するものであり、だからボブの葛藤とは何なのかを自分は理解しなければならなかったんです。
いろいろな人と話をしましたが、スーパーヒーローとしてボブ・マーリーを見ている人が多かったので、人間的な彼について聞くと、みんな考えてしまうんです。だから友人、家族にいろいろと聞いたり、話し合いをしたりもしましたが、彼は目を閉じて歌うんですよね。そこに僕は彼の痛みを感じて、みなに見せている部分の以上のものが彼にはあるだろうと、僕は彼を見ていて思いました。
―今後、映画人として成し遂げたいことはありますか?
自分が出来ることを、可能な限り最大限にやることでしょうか。プロフェッショナルとしてそのプロセスをしっかりと準備をして、そのキャラクターの感情をMAXにして、みなさんにお届けすることです。ストーリーを一番クリエイティブな形で支えるということ、ですね。あとは、PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)と仕事をしたいですね。役者ならみんなそうでしょう?(笑)
―『ボブ・マーリー:ONE LOVE』を観る方にメッセージをお願いします。
映画館でボブの音楽。人生を祝福するこの作品を経験してほしいですね。誰でも絶対に響くものがある映画だと思います。